自動車の歴史 Part4-3
自動車の拡大期: 1940-1980
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自動車の歴史 Part3

Part4.
自動車の発展期
1945年〜1980年
1)ヨーロッパ
2)イギリス

3)アメリカ合衆国、日本
4)
エネルギー危機
5)新しい市場

Part5.現代から未来へ
1)自動車産業の未来


自動車史トピックス
・レースカーの系譜
・エンジンの系譜


第2次世界大戦以後の自動車時代

【アメリカ合衆国】
第2次大戦後も、アメリカは世界最大の自動車生産国としてのリードを維持していた。70年代において、そのリードを脅かすのは日本のみであった。アメリカにおいても小さな独立した自動車メーカーはあったが、ほとんどのアメリカの自動車はデトロイトのビッグ3、ゼネラル・モーターズ、クライスラー、フォードの3社によって生産されていた。ゼネラル・モーターズ社だけでアメリカの市場の60%を占め、1978年には同社は他産業を含む世界中の会社のなかで最も高い利益を得、その額はサウジアラビアやスイスなどの独立国家の全収益をしのぐほどであった。
 1970年代に起こった原油価格の高騰は、アメリカの自動車産業に大きな低迷をもたらすことになった。最も燃費の良いアメリカ車のシボレーでも7km/l程度で、大抵の車は5km/lがいいところであった。これに比べて日本の輸入車の燃費はずっと経済的であったため、アメリカ車の生産販売が落ち込むこととなった。(この面ではある意味2005年の現在の状況に似てます。)80年代になると、デトロイトというもっとも雇用環境の良い環境で働いていた多くの人たちが直接的、あるいは間接的にレイオフされたり、短期雇用にされたりしていた。1980年、ゼネラルモーターズは彼らの会社史上初めて損失を計上し、初めて小さくて経済的な車の生産を考え始めた。

【日本】
日本の戦後の経済成長はめざましく特に60年代から70年代にかけて急速に成長した。欧米の援助もあったが、産業の急速な発展に伴い、道路網も整備され、自動車産業も高度成長に大きく寄与した。日本の自動車会社の多くは1928〜1930年代に設立され、第2次世界大戦の軍事需要などで基盤を確立した。オースチンは戦後の日本の自動車産業の揺籃期から参入を図っていた。この時期多くの英国やヨーロッパの車がライセンス下、日本で製造された。日本の自動車会社は戦総直後は経営危機等もあったが、朝鮮戦争特需を契機に経営基盤を確固とした。
本田宗一郎は1946年に最初のモーターバイクを作り、数年後には自動車の開発に乗り出している。1959年に日本は外国車の輸入制限を掲げ、自国の自動車産業の育成に全力をあげた。日本は欧米の大量生産技術を素早くコピーし、その後改良を加えた。知的水準の高さと、品質管理の高さ、まじめで勤勉な国民性が急速な成功をもたらした。多くのトラックが生産され、産業成長に寄与するとともに、引き続き乗用車の需要も急増するようになってきた。こうした状況の中、ホンダもようやくトヨタや日産、いすず、日野、三菱自動車などの先行自動車会社に加わるようになってきた。
1952年の段階では日本車はほとんど輸出されていなかったが、60年代、70年代を通して、日本車は世界市場に次第に浸透してゆき、それは必然的に英国を始めとするヨーロッパ車やアメリカ車の脅威となっていった。1980年には日本は自動車生産数でアメリカを追い越して世界最大の生産国になっている。貿易摩擦の問題から、現在(2004年)では現地生産化が進み、日本の生産台数ではアメリカに及んでいない。
1960年代の日本車はどちらかといえば、デザインや技術の面で旧式なイメージを拭いきれなかったが、70年代には十分に最新の流行を取り入れるようになっていた。70年代後半においては、他の外国車ではあまり一般的ではなかった種々のアクセサリーを標準で装備すると共に、品質的にも安定した非常にコスト・パフォーマンスの高い車を提供した。英国政府は70年代自国の自動車生産の減産傾向がとまらず、産業保護の観点から日本に車の輸出を制限するように要請したが、高い日本車に対する消費者需要に対してはほとんど効果はなかった。

1975年 シボレー・カブリース
   /インパラ

1955トヨペットクラウン

トヨタ・カローラ
トヨタ博物館探訪