自動車の歴史 Part4-2
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自動車の歴史 Part3

Part4.
自動車の発展期
1945年〜1980年
1)ヨーロッパ
2)イギリス

3)アメリカ合衆国、日本
4)
エネルギー危機
5)新しい市場

Part5.現代から未来へ
1)自動車産業の未来


自動車史トピックス
・レースカーの系譜
・エンジンの系譜


自動車の拡大期: 1940-1980
第2次世界大戦以後の自動車時代

【イギリス】
1952年までのイギリスの車の90%はモリス(Morris)、オースチン(Austin)、フォード(Ford)、ロータス(Rootes)、スタンダード・トライアンフ(Standard Triumph)とバクスホール(Vauxhall)の6社で製造されていた。ハーバート・オースチンの死の11年後にオースチンとモリスは合併し、British Motor Corporation(BMC)となり、ウイリアムモリスが社長に就任した。こうした合併は時代の流れとも言えた。第2次世界大戦以降に生まれた自動車会社はほとんどなく、大量生産への投資や体制変更は小さな会社が進出する余地をなくさせたと言っても過言ではない。自動車本体と同様に、自動車部品についても大量生産が求められるようになり、わずかな一握りの会社がこうした生産体勢に対応可能であった。自動車のモデルも基本的なタイプに限定されるようになり、デザインも何年かの間、固定されるようになった。
 BMCのチーフデザイナーのアレック・イシゴニス(Alec Issigonis)は、1959年に最も有名なイギリスの小型車ミニを発表した。エンジンはフロントに横置きされ、小型の割に広い室内を実現した。イギリスはミニによって世界の小型車市場をリードする機会を与えられた。
ウィリアムモリスの死後5年目にあたる1963年にはBMCは当時すでにスタンダード・トライアンフの支配権を獲得したりして、非常に好調であったレイランドバス&ローリー会社と合併した。これにより、英国レイランド自動車会社( British Layland Motor Corporation)は、一夜にしてフォルクスワーゲン、フィアットに次ぐヨーロッパで3番目に大きな自動車会社となった。その商品ラインは、モリス、オースチン、MG、ダイムラー、ローバー、ジャガー、トライアンフ、レイランド、ガイ(Guy)、アルビオン(Albion)、そしてスキャンメル (Scanmel)であった。

 1970年までに、その他の英国の大きな自動車会社は全て外国資本になった。フォードUKはアメリカの子会社の現地会社であった。ジェネラル・モリスは バクスホールとベッドフォード(Bedford)商用自動車会社を買収した。1970年にはウィリアム・ルーツは自分のファミリー会社をアメリカのクライスラーに売ったが、8年後,今度はクライスラーがこれらの子会社を、プジョー・シトロエレンに売った。プジョー・シトロエレンはこの会社に古いファミリーネームを取って、Talbotと名付けた。
 70年代の後半には英国には2,3の小さな独立系の自動車会社のみが残されることとなった。ロールス・ロイスのダービー工場では航空機のエンジンを製造をはじめた。自動車部門のビジネスもそれまで以上に上手くいっていたが、他社の動向に押されて縮小の憂き目にあい、クルーウェ(Crewe)に移転された。当時、アストン・マーチン・ラゴンダやモーガンのような小さな自動車会社が特製のスポーツカーやサルーンカーを作ったり、レリアント(Reliant)が3輪自動車やScimitarのようなスポーツカーを開発していた。
 外国資本と英国内の競争において、英国レイランドにとって70年代は旧式の設備や乏しい産業連携の面で問題は山積みであった。商用車やダイムラー、ジャガー、ローバーなどの一部の車は世界的に成功を収めていたが、会社全体としては国が莫大な資本を投入したにも拘わらず、かろうじて生き残っているという感じであった。1961年のジャガーEタイプは70年代後半に更に豪華なXJSにモデルチェンジされ、また同時期にローバー3.5が発売された。最初のローバーはあまり格好いいとは言えず、どちらかというと旧式の外観であった。
 保険のプレミアムの上昇などにより、売り上げは落ち込んだことが原因となって、大量生産のスポーツカーは80年代の後半にはほとんど姿を消していた。日本の洗練されたモーターバイクに人気が集まったり、112kmの速度制限や70年代のオイルショックなどもスポーツカーに終止符を打たせた原因になったと考えられるが、ほかにも英国のモデルは市場としては有利なアメリカでは相手にされなかったことも影響している。当時、スポーツカーは大変快適になっていったが、同時に重量が増え、スポーツカーの命である(power to weight ratio)を狂わすはめになっていた。BMVやフォルクスワーゲンゴルフ、ランチアベータなどのソフトトップモデルなどの海外との競争が最終的に英国のスポーツカーの量産に最終終止符をうたせた。1980年から1981年の間にMGトライアンフ・スピットファイアーやトライアンフTR7の生産が打ち切られた。
 1980年に英国レイランド社はCowleyで日本のホンダと共同で自動車生産を行うことを決定した。同年には、Longbridgeで生産されたオースチン・ミニ・メトロの新車の出荷が開始された。これは、ミニにとっては1959年以来の大きなモデルチェンジであり、英国レイランド社の社運をかけた車とも見えた。
1970年 BMC1000 mini
1970:ジャガーXKE_Convertible
トヨタ博物館探訪
アルビオン(Albion Lowlander LR7)
Reliant Scimitar