自動車の歴史 Part4-1
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自動車の歴史 Part1
自動車の歴史 Part2


自動車の歴史 Part3
1)戦争期が与えた影響
・技術

2)デザインの変化

イギリスの国産車
3)
モリス・コーレー
・オースチン・セブン

4)モーリス・ミノーの誕生
・新自動車生産手法

5)20-30年代の社会-1
自動車と安全性
・道路と安全性
・標識
6)20-30年代の社会-2
・町、
道路輸送 
・雇用  
産業

7)20-30年代の社会-3
・農業
娯楽
・犯罪

8)大恐慌
・自動車の発展の持続
・フォルクスワーゲンの誕生
9)第2次世界大戦

Part4.
自動車の発展期
1945年〜1980年
1)ヨーロッパ
2)イギリス

3)アメリカ合衆国、日本
4)
エネルギー危機
5)新しい市場

Part5.現代から未来へ
1)自動車産業の未来


自動車史トピックス
・レースカーの系譜
・エンジンの系譜



自動車の拡大期: 1940-1980
第2次世界大戦以後の自動車時代

【ヨ−ロッパ大陸】
第2次世界大戦とその後の数年の間、ヨーロッパの各国において事情は異なったが、多かれ少なかれ何らかの形で一般の車両向けのガソリンの供給が制限された。その結果、ほんの僅かの限られた人しか路上で自動車を走らせることはできなかった。タクシーは燃料として木炭を燃やしたり、一部を改造して人力で動くようにするものも現れたりした。長年着目されなかった電気自動車が突然引張り出されたりする一方、ガソリン車は時代が車での間、庭隅やガレージの中にほっておかれる羽目となっていた。

1948年になると英国の爆撃で破壊されていたフォルクスワーゲンの工場は英国軍将校のの協力もあって再建されるようになったが、アメリカや英国の会社はフォルクスワーゲンの購入を拒否していた。フォードに至っては全く価値がないなどと酷評したと言われている。ハインツ・ノルドホフ(Heinz Nordhoff)教授のリーダーシップの元、フォルクスワーゲンの業績は順調に成長し、アメリカの3大自動車会社に次いで世界で4番目の自動車会社となった。フェルディナンド・ポルシェによる戦前の国民車の計画は近代の洗練されたデザインへの潮流に反するようなデザインの車となって結実した。フロントバンパーに向かってまっすぐに曲線を描いて垂れ下がる独自の形状のボンネットを持つこの車はあまり格好のよいものではなかったが、ビートルと呼ばれ世界中の人々になじみ深い車となった。この車は信じられないくらい頑丈で、信頼性が高く、かって作られた車の中で最も人気のある車であることを証明して見せた。40年間という他の車には例を見ない長期間にわたって作り続けられ、フォードT以上の2千万台ものビートルが世界中に売り続けられた。

フォルクスワーゲンは50年代にAuto-Union-Audiを買収し、60年代になるとドイツはアメリカに次いで世界第2位の自動車生産国になった。
70年代中盤に世界が経済(オイル)危機が見舞われたとき、より小型で経済的な車へと世界の関心が向かったため、フォルクスワーゲンへの影響は他の多くの自動車会社に比べて小さなものとなった。Wolfsburgはフォルクスワーゲン社関連の従業員の住宅、レクレーションや医療施設など始めとする各種の施設で占められるようになり、まさにフォルクスワーゲンの街となった。
戦後になると、一般の自動車に対してばかりでなく、ヨーロッパの多くの都市を復興するためのトラックやショベルカーを始めとするあらゆる種類の商用車のニーズが急激に高まった。このため、商用車工場の組み立てラインは一般車の製造ラインと同じくらい忙しいラインとなった。

ドイツ以外では、戦後の自動車産業の復興は遅れていたが、その後フランスとイタリアでは急速な勢いでその遅れを取り戻していった。1961年になるとフランスの自動車生産量はイギリスの生産量を超え、1968年には生産された車の3分の1が輸出されるようになり、プジョーとシトロエンもこうした車を多く生産していた。シトロエンは資本関係でミシュランと密接な関係にあったが、1970年代の経済不況を背景とする経営危機で、プジョーとシトロエンは政府の仲介で企業グループを形成している。ルノーはフランス政府によって国営化され、自動車ばかりでなくボールベアリングから工作機械まで製造する最も大きな生産拠点となった。イタリアではフィアットが最大の自動車会社となり、ヨーロッパの自動車製造会社としてフォルクスワーゲン社に次ぐ2番目の大きさの会社に成長した。
1945年フォルクスワーゲン
ハインツ・ノルドホフ
1949:ビートルカブリオット
1948:シトロエン2CV
トヨタ博物館探訪