自動車の歴史 Part3-3
自動車の歴史トップ

自動車の歴史 Part1

自動車の発展期Part2
1885-1918:ヨーロッパ大陸
1)ダイムラー:
最初のモーターバイク
ダイムラーとベンツ

2)ベンツ:最初の車1
3)ベンツ:最初の車2
4)マイバッハとメルセデス
5)フランスの自動車
6)電気自動車
アメリカ合衆国
7)歓迎される自動車
アメリカの開拓者達
8)ヘンリー・フォード
Tモデルと大量生産

イギリス
9)自動車時代への参加
パイオニア
Vauxhall
10)英国社会と自動車
11)ロールス・ロイス
オースチン
ウィリアム・モリス

12)運転免許と登録証


自動車の歴史 Part3

1)戦争期が与えた影響
・技術

2)デザインの変化

イギリスの国産車
3)
モリス・コーレー
・オースチン・セブン

4)モーリス・ミノーの誕生
・新自動車生産手法

5)20-30年代の社会-1
自動車と安全性
・道路と安全性
・標識
6)20-30年代の社会-2
・町、
道路輸送 
・雇用  
産業

7)20-30年代の社会-3
・農業
娯楽
・犯罪

8)大恐慌
・自動車の発展の持続
・フォルクスワーゲンの誕生
9)第2次世界大戦



自動車の歴史 Part4

自動車の拡大期: 1918-1945
英国の大衆
【モーリス・コーレー】
1920年代から30年代にかけては、パワフルで豪華な大型車が生産される一方、普通の人たちが乗れる小さな車に対するニーズが高まってきていた。こうしたニーズは1920年に道路維持のための歳費捻出のために、車1台に対し1馬力当たり1ポンドの税を課すという自動車税法が発効されると更に顕著になってきた。保険会社も自動車税と同様のシステムで課金するようになり、より小型の車のメリットは高くなってきた。例えば、ロールスロイスのシルバーゴーストの自動車税が45ポンドに対し、フォードのモデルTの税金は20ポンドと半額以下であった。
 1911年にフォードはマンチェスターに工場を購入し、1915年にモデルTの生産ラインが稼働するようになった。1921年までの英国の自動車保有率は168人に1人で、ヨーロッパ大陸の国よりも低かった。この時、米国では既に14人に1人が車を保有している状態であった。ヨーロッパの自動車メーカーもようやくモデルTと競争していくためには、フォードの生産ラインの技術を真似する必要があることに気がつき始めた。
コーレーにあるモリスの工場は戦争の期間を通じてかなり拡大され、この時期英国最大の工場となっていた。もちろん、モリスの会社もライバルであるオースチンを大きく引き離して英国最大の会社に成長していた。マンチェスターでのモデルTの生産は、モリスが英国で最初に築き上げたオックスフォードの生産方式を更に新しい大量生産方式に変更させることを決心させることになった。
1924 モーリスコーレー
(£179)
Bullnose Morris Cowley
200ポンドよりも安い価格でコーレーの車はたちまち大人気となり、マンチェスターのフォードTよりもよく売れた。それは、特徴的なブルノーズ(団子鼻)の丸みをもったラジエーター後ろに静かで、滑らかに回転するエンジンを配していた。モリスは非常に裕福であったが、子供がなく非常に多くの財産をチャリティーに寄付している。彼は1千万ポンドの寄付をしてヌフィールド基金を設立したり(1943年)、オックスフォード大学のヌフィールド校を設立したりしている。彼は1929年に爵位を与えられ、1934年にヌフィールド男爵、1938年に子爵となった。
ヌフィールドハウス
ウィリアム・モリスが1933〜1963年まで住んだ家:ヌフィールド(Nuffield)はオックスフォードの南東約20kmに位置し、ヘンリー・オン・テームズ(Henley on Thames)という町の近くにある(A4130)。現在年に10日ほど一般公開されている。
【オースチン・セブン】
多くの一般大衆にとってはコーレーでさえ高価であった。こうした時代にハーバート・オースチンが1922年にオースチン・セブンを作った。この車の値段は165ポンドで後年150ポンドになったが、信頼性が高く経済的であった。ランニングコストは1マイルあたり1/2ペンス程度で、モーターバイクより少し高い程度であった。
オースチンのロングブリッジ工場では17年間の間に10万台以上のオースチンセブンが製造された。セブンはまたライセンス提供されて、フランス、ドイツ、アメリカ、日本でも製造された。その意味でセブンはアメリカへ進出した英国最初の小型車でもあった。技術的にもすばらしい小型車であった。4輪にブレーキを標準で装着した英国初めてのモデルであり、アルミ製の車体を含め全ての部品は良質な材料で作られていた。一時、英国の車体製造業者全てがオースチン・セブンの車体を製造していたと言っても過言ではない。

ウィリアム・リヨンはこうした車体製造業者のひとりであったが、1923年にモーターバイクのサイドカーを作るビジネスを始めた。その後1928年にコベントリーに移り、社名もスワロー・サイドカー・アンド・コーチビルダー会社と変え、オースチンセブンやスタンダードなど多くの車のすばらしい車体を製造した。
第2次世界大戦の直前、彼の会社は独自のスポーツカー、スワロー・スポーツ(SS)を開発した。この車は大変速くスタイリッシュで、直ぐに成功を収めた。1939年には、この車はスポーツカーとサルーンカーを含めて、SSジャガーとして知られるようになった。その後、スワローの名前が消え、ジャガーの名前だけで呼ばれるようになった。


1927 オースチン・セブン



1935 スワロースポーツ1(SS1)
トヨタ博物館探訪