自動車の歴史 Part2-11
自動車の歴史トップ

自動車の歴史 Part1
1)自動車の起源
ニコラス・キューニョー
蒸気自動車
2)自動車輸送の問題
レッドフラグ法
3)自転車
内燃機関エンジン
4)マルコス
エンジンの進化
5)空気タイヤ
燃料

発展期 Part2
1885-1918
ヨーロッパ大陸
1)ダイムラー:
最初のモーターバイク
ダイムラーとベンツ

2)ベンツ:最初の車1
3)ベンツ:最初の車2
4)マイバッハとメルセデス
5)フランスの自動車
6)電気自動車
アメリカ合衆国
7)歓迎される自動車
アメリカの開拓者達
8)ヘンリー・フォード
Tモデルと大量生産

英国
9)自動車時代への参加
パイオニア
Vauxhall
10)英国社会と自動車
11)ロールス・ロイス
オースチン
ウィリアム・モリス

12)運転免許と登録証



自動車の歴史 Part3
自動車の歴史 Part4

【ロールス・ロイス】
ヘンリー・ロイスは20代にして既に完璧なものづくりを愛する才能あるエンジニアであった。1883年にマンチェスターにおいて、10ポンドの資本金でランプ、ダイナモ、電気クレーンの事業を始めた。彼の会社は大変成功し、ロイスは自動車のビジネスを始めることを考え始めた。というのは、彼が1903年に購入したフランス車の性能に大変失望して、自分自身で性能が良くもっと静かな車を作ってみようと決心した。
彼は2人の使用人と一緒に、6ヶ月をかけ自分自身で満足できる完全な車を完成させた。その結果に満足して、もう2台の車を製作している。彼の車の特徴はその静粛性にあった。
一方、パンハード・レバッサーのロンドン代表であったチャールズ・ロールスはロイスの車の1台を見て、大変感銘を受け、そこで他の車をもう売らないでロイスの車を売ろうと決心した。ロイスとロールスの2人は出身も背景も大きく違い、これといった共通性もなかったが、車に対する共通の愛情が2人を友人として結びつけ、1906年にロイスが製作した車をロールスが売ることで合意し、ロールス・ロイス社を設立した。最初、マンチェスターで(後にダービーに移転)で、彼らはシルバー・ゴーストを製作した。この車は、直ぐに世界中の裕福な人達のステータス・シンボルとなった。冒険家でもあったロールスは1910年に飛行機事故で亡くなってしまったが、その後もロールスロイス社の品質と技術に対する世界的評判は現在にまで生き続けることとなった。
charles&frank motorcar

1906年ロールス・ロイス最初の車、シルバーゴースト:幽霊のように静かであることからこう呼ばれるようになった。特殊アルミペイントされたボディに時速80kmで静かに走行できるこの車は贅沢な車という域をも超えていた。
技術データ:
直列3x2グループの水冷6気筒エンジン、サイドバルブ
内径x行程 114.3 x 114.3 mm ,
排気量 7,036 cc (内径x行程から)〜 7,428 cc:行程120.7 mmに対し),
電磁イグニッション; コーンタイプクラッチ; 4速ギアボックス,
ブレーキ:トランスミッション作用フットブレーキ

ホイールベース 135 1/2 in〜143 1/2 in;
タイヤ寸法 前輪 875 x 195 または 880 x 120, 後輪 880 x 120 または 895 x 135

【ハーバート・オースチン】
若いときにオーストラリアに移住したハーバート・オースチンはウォルセリー・シープ・シェアリング・マシーン会社の従業員になり、その後まもなくシドニーの支店マネージャーとなった。オースチンは優れた技術者で、オーストラリアのような広大で人口密度の低い国における自動車の潜在能力を見抜いていた。
1893年に、オースチンはウォルセリー・ツール・アンド・モーター会社のマネージャーとして英国に戻った。彼は余暇に簡単な3輪自動車を設計していた。1896年にはまた別の車を設計した。この自動車は単気筒の3輪車で、後輪は独立懸架のサスペンションとなっていて、自動車の乗り心地性能と道路の接地性で優れていた。
1902年間までは、ウォルセリーは英国で最大の自動車会社であったが、オースチンは1905年にバーミンガムから10km程度はなれたロングブリッジで、自分自身でオースチン自動車会社を設立するために会社を離れた。彼の事業に出資した実業家の中には初期のダンロップタイヤのマーケティングに貢献したハービー・デュ・クロスもいた。1914年にはオースチンの会社は年産1500台の自動車を生産するまでになった。

チャールズ・ロールス
(1877-1910)
裕福な貴族、自動車レースや気球や飛行機

ヘンリー・ロイス
(1863-1933)
【ウィルアム・モリス】
オックスフォードシェア近辺ではウィリアム・モリスは腕の立つメカニックとして評判であった。25歳まではモリスはモーターバイクを組み立てて売ったり、自動車を修理して生計を立てていた。彼は車を開発・生産することを夢見ていた。その車は贅沢なロールスロイスやキャデラックと競合するものでもなく、また安いモデルTやスポーティなプリンス・ヘンリー等と競合するものでもなかった。彼のターゲットはもっと大きなマーケットである英国の中流層を狙ったもので、もっと信頼性があり、効率的で、経済的であり、様々なアクセサリーや付属品が標準仕様として用意されている車であった。
モリスは彼の夢をオックスフォードのロングウェル通りで実現し始めた。当初、彼には綿密な計画や設計図があったわけでなく、単に車を試作し、ひとつひとつ自分の満足のゆくものにしてゆくというやり方であった。エンジンはコベントリー工場から特別に供給された。その自動車は1910年についに完成した。スポークホイール、アセチレンガスのヘッドランプ、オイルのサイドとリアーランプ、緑色の革張りの2座席とフードのついた車であった。
1911年にモリスはコーレイにある軍事大学の跡地と隣地に拠点を移した。20人の従業員と1人のオフィスガールと一緒に彼にここで同じような車を作り始めた。彼はこの車にモリス・オックスフォードと命名したが、この車はすぐに週に30台も生産するようになった。コーレイの工場の生産原理はデトロイトのフォードの工場のものと同じようなものであったが、ずっと小規模で家内工業的なものであった。全ての労働者はそれぞれの役割を持っていた。例えば、モリスの義理の兄弟のビル・アンスティはロフトに下げられたホィールにペイントして、下の作業員が声をかけたらそれを降ろして次の工程へ移すというようなものだった。モリス自身は完成した自動車を顧客に届ける役割をこなしていた。オックスフォードの価格は当時175ポンドでフォードのモデルTより40ポンド高かったが、その他の車よりは安価であった。ちなみに、当時の自動車税は年3ポンドであった。この車は1910年から第1次大戦が始まる1914年までの4年間の間に400台が製造された。
charles&frank motorcar

ハーバード・オースチン(1866-1941)

charles&frank motorcar

ウィリアム・モリス
(1877-1958)

トヨタ博物館探訪

1920年代のモリスの工場の自動車組立ラインの作業の様子。ウィリアムモリスはオックスフォードの経済に決定的な変革をもたらした。モリスは外部で製作された部品を得て、パート毎に作業員の分担作業によって自動車の大量生産を行う組立ラインを実施した開拓者の一人である。

モーリス・オックスフォード1911/1912