自動車の歴史 Part2-10
自動車の歴史トップ

自動車の歴史 Part1
1)自動車の起源
ニコラス・キューニョー
蒸気自動車
2)自動車輸送の問題
レッドフラグ法
3)自転車
内燃機関エンジン
4)マルコス
エンジンの進化
5)空気タイヤ
燃料

発展期 Part2
1885-1918
ヨーロッパ大陸
1)ダイムラー:
最初のモーターバイク
ダイムラーとベンツ

2)ベンツ:最初の車1
3)ベンツ:最初の車2
4)マイバッハとメルセデス
5)フランスの自動車
6)電気自動車
アメリカ合衆国
7)歓迎される自動車
アメリカの開拓者達
8)ヘンリー・フォード
Tモデルと大量生産

英国
9)自動車時代への参加
パイオニア
Vauxhall
10)英国社会と自動車
11)ロールス・ロイス
オースチン
ウィリアム・モリス

12)運転免許と登録証


自動車の歴史 Part3
自動車の歴史 Part4

英国
【英国社会と自動車】
 「
モーターカー(自動車)」とういう言葉は正式には、全ての車のライセンスと登録を義務づけた1903年の自動車法(motor car act)が作られたときに使われたのが最初である。警笛とナンバープレートも義務づけられた。車が長期間使用されなくなった場合にはナンバープレートは地方の管轄局に返還されるようになっていた。1896年のレッドフラグ法の廃止以来、一般道路における最高速度は時速22kmまでであったが、この法律では制限を時速32kmに緩和された。
自動車は英国的感覚にうまくなじむようになってきたが、しかし全ての人が歓迎したわけでもなかった。1910年に、以下のような嘆願書がマリー王女宛に出されている。
「英国に村の女性は自動車の被害から救済の手を求めて女王陛下に跪いております。女王陛下は私共がどのような被害を受けているかについて知るよしもないことは重々承知しておりますが、自動車は我々の生活をとっても惨めなものにしています。私共の子供はいつも危険にさらされておりますし、あらゆるものは直ぐに埃だらけとなり、窓さえ開け放しにできず、夜には騒音で安眠すらできない状態です。もし、自動車が村を通過する速度をゆっくりにして頂くことがかないますなら、どんなにかすばらしいことでしょう。しかし、自動車を使えるような裕福な人たちは、私共のような貧乏人のことなどは少しも考えてくれません。」
 実際にはこのような女性達には不幸な話であるが、ローヤルファミリーはむしろ自動車を好んだ階層で、1910年には皇太子(後のエドワード8世)はコベントリー・ダイムラーを購入したりしている。
道路維持のための通行料を取っていたターンパイク・トラストが消え失せてから久しく、道路局は道路の維持費を調達するためにガソリン税を上げることにしたが、これに対して自動車を持っている裕福な上流・中流階級から文句が出るようなことはなかった。20世紀の初期の時代には実際のところ自動車は大変なステータス・シンボルであった。
自動車のオーナーはむしろ好んで仕事場のある地域から離れて暮らすようになり、その結果、市街地は道路に沿って郊外へと向かってゆっくり拡大していった。
 馬車用の馬の厩舎は車のガレージと変わった。モーターリストは郊外を通って海に出かけたり、温泉に入るために温泉町に出かけることができるようになった。ドライブは人々の余暇を過ごす新たな楽しみのひとつとなった。また、自動車はお抱え運転手や自動車工のようなそれまで無かった新しい仕事を生み出した。
自動車は田舎の村の孤立に終止符を打ち、町と村を以前に増して密接に近づける役割を果たした。鉄道駅からの距離は、もはやアクセスのし易さとは関係なくなっていた。20世紀初頭の20年の間に、バスや自動車店、図書館、牧師に至るまで、村の生活は大きく変わった。その一方、村の古い道路は改良される必要があり、多くの遺跡、野原、木々が永遠に姿を消すことになった。
この時代の自動車のドライブにはまだ多くの冒険的な要素が残されていた。時折陥る危険な状態、例えば、急な坂道でブレーキがきかなくなって車が下がってしまうような場合も往々にしてあり、そんな時にはバックギアーに入れて上りなさいというようなアドバイスもされたりしていた。
この時代になると、自動車は個人用途のばかりでなく公共用途にも広がり始めた。1911年には、ついに馬車引きのバスは完全に姿を消した。これらのバスは全てクロスリー(Crossley)、ガイ(Guy)、ダイムラー(Daimler)、レイランド (Leyland)等の自動車会社で製作されたモーターバスに置き換えられた。(ただし、電車は郊外への輸送手段としてこの後も長らくモーターバスのライバルとなった)。この頃、拡大傾向にあった市街地にあって、バスは郊外への便利な市民の輸送機関として使われるようになった。
英国は自動車製造への参入は遅れたにも拘わらず、第1次世界大戦勃発の直前の何年間の間には、すでにドイツやフランス、アメリカといった国々のライバルとして肩を並べるまでになっていた。163名からなる英国とアイルランドの自動車倶楽部が1897年に設立され、後に王立自動車クラブ (Royal Automobile Club: RAC)と呼ばれるようになったが、このクラブの設立は初期のドライビングを後押しする力となった。自動車協会(Automobile Association)も同様でった。こちらは、警察の速度取締まりをドライバーに警告するためにパトロールする自転車の組織として1905年にスタートした(注)。

charles&frank motorcar

この写真は1904年ロンドンのタクシーの写真ですが、以来タクシーは自動車の発展の象徴のように、イギリスの首都において素早く目的地に到達できる手段としてなくてはならないものになっています。

こちらは1904年のモーターバスです。多くのものが馬引きのものから改造されており、こうしたタイプのバスが1907年までは一般的だったようです。このバスには下の乗車部分に10人が乗り、外側のはしご階段で上部の出デッキに10人が乗れるようになっています。市街地に騒音とか臭いとかとかをまき散らすという不満が耐えなかったにも拘わらず、バスはなんとか生き残った。1910年になるとロンドン・ゼネラル・オムニバス会社が初めて34人乗りのダブルデッカー(2階建てバス)を導入した。

トヨタ博物館探訪
charles&frank motorcar

上記のアストロ。ダイムラー消防給水車は、1910年ポルシェによって設計されたもので、ロンドン消防団で最初にモーター化が実現された消防車であった。

注)RACおよびAAとも英国の自動車協会として、日本のJAFと同様なサービスを行っている。