自動車の歴史 Part2-4
自動車の歴史 Part1
1)自動車の起源
ニコラス・キューニョー
蒸気自動車
2)自動車輸送の問題
レッドフラグ法
3)自転車
内燃機関エンジン
4)マルコス
エンジンの進化
5)空気タイヤ
燃料

発展期 Part2
1885-1918
ヨーロッパ大陸
1)ダイムラー:
最初のモーターバイク
ダイムラーとベンツ

2)ベンツ:最初の車1
3)ベンツ:最初の車2
4)マイバッハとメルセデス
5)フランスの自動車
6)電気自動車
アメリカ合衆国
7)歓迎される自動車
アメリカの開拓者達
8)ヘンリー・フォード
Tモデルと大量生産

英国
9)自動車時代への参加
パイオニア
Vauxhall
10)英国社会と自動車
11)ロールス・ロイス
オースチン
ウィリアム・モリス

12)運転免許と登録証


自動車の歴史 Part3
自動車の歴史 Part4

自動車の歴史トップ
【マイバッハとメルセデス】
マイバッハについては先のページで簡単に紹介しているが、彼もまた重要な仕事をしている。1893年にはスプレーインジェクションで燃料を噴出するキャブレターを開発しており、これが後のキャブレター技術の原型となっている。ダイムラーが年を取って次第に病気がちになると、マイバッハがカンスタット(Cannstatt)の会社を次第に取り仕切るようになった。1896年には会社はカンスタット・ダイムラーという当時の最高の車を世に送り出している。
1900年に、彼は全く新しい車、世界で最も速く、技術的に最も先進的なレースカーを設計している。これは実業家でオーストリアのドイツ大使であったエミール・ジェリネックの提案を受けて設計したもので、軽量金属を使い、ハニカムのラジエター、ギアーだけのトランスミッション、長いホイールベース、低い重心の将来を象徴するような車であった。マイバッハはこの車のフランスでの販売権をジェリネックに与えているが、当時の状況として、ダイムラーのようなドイツ名の車はフランスでは全く人気が出ないことは明らかであった。ジェリネックは36台の車を注文しているが、彼は熟慮の末、この車に彼の11才の娘の名前であるメルセデスを付けて売り出した。

ダイムラーメルセデス(1900)

エミール・ジェネリック
(1853-1918)

メルセデス・ジェネリック
【エミール・ジェリネック】
エミール・ジェリネックはオーストリアの実業家であるが、当時新しく開発された車、そのスピードや性能に対する熱狂的なファンとして「ミスター・メルセデス」と呼ばれ、よく知られる存在であった。彼の熱心さはスポーティーな装備に関するものばかりでなく、それらを売ることによる実業的な利益の面でも発揮された。最初は、Niceのカーレースに娘の名前から取ったチーム名「メルセデス」でダイムラーの28馬力の「phoenix」を搭載したレーシングカーで参加したのが始まりである。

【メルセデス35hp:アルミニウム・クランクケース、ツインカム、コントロール吸気バルブ】
最初にマイバッハはメルセデスのために新しいエンジンを開発した。マイバッハには当時既にそのアイデアがあったようである。水平に分けられたクランクケースは軽量化のためアルミニウムで作られた。また、シリンダーは2つペアーの鋳鉄製で、それまでのレーシング車「Phoenix」用のエンジンの取りはずしできるヘッドと違って、シリンダーヘッドも鋳造で形作られていた。ボアー/ストロークは116x140mmで、エンジンの全排気量は5918cc、Phoenix」車のものより400cc程改良された。各々のシリンダーペアーはそれぞれ独立したキャブレターを有していた。300〜1000回転の範囲ではエンジン速度はステアリングホィールのレバーでコントロールできるようになっていた。
トヨタ博物館探訪
メインベアリングに関しては、マイバッハは5%マグネシウム含有のマグネシウム・アルミニウム合金を使った。吸気バルブはエンジン内の真空圧によって開かれるようになっていたそれまでのスニフティングタイプから、エグゾーストバルブのようにカムシャフトでコントロールされるように変更された。
冷却効果を高めるために、フロントエンドにセットされたギアーでラジエター背後にある小さなファンを動かすと共に、中央に配置されたギアー経由で低電圧マグネットと水冷ポンプをエグゾーストカムシャフトで動かすようにしている。
これらの多くの改良によって、安定したアイドリング、良好な加速性、ずっとスムースな操作性を実現し、当時としてはほとんど不可能と思われていた新しい性能のエンジンを実現した。さらに、このエンジンでは90kg減らし、230kgにまでの軽量化が実現された。